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◆今日を生きる力、明日を生きる勇気 ~ 本当の自分と向き合う ~
これを書こうと思ったのは、アイウエオフィス主催の名古屋イブニングセミナーに参加しての事。
セミナーに参加して、僕のライフワークが 「植物と共に生きる」 なんだと、強く再認識。
ライフワークを語るうえで欠かせない重要なキーワードに
『自分と向き合う』 『本当の自分(自分らしい自分)と出逢う』 があるが、
これを学ぶ中で、恐らく誰もが一度は驚きを持って迎えることに
「自分が思っている自分」 と 「他人から見た自分」 とのギャップ、乖離があると思う。
かく云う自分も、必死で自分探しをしていたかつては、そうだった。
見え方のあまりの違いに、いつも 「どうして?(本当は一緒のハズなのに…!)」 と、
驚きと悲しみがゴチャ混ぜになってやって来た。
時に、ヒドイ云われ様に涙した事さえある。
ところが、ライフワークと出逢って、今はこう思える僕が居る。
「僕は今ココに居る僕でしかない。
相手に見えている僕が僕そのものであり、僕が見ている相手が相手そのものなのだ」と。
どういう事かと云うと、
相手から見える僕は、如何様にも見える ということ。
正面の相手から見える僕が僕であり、
左横または右横、はたまた真後ろから見える僕も僕である、と云う事だ。
相手の立つ位置によって、僕は如何様にも見える。
でも相手がどの立ち位置に居ようと、僕自身は今ココに居る僕でしかない。
さらに違う言い方をするならば、こう説明できるだろうか。
円の中心点が僕で、それを取り巻く円周が相手だとする。
それまでの僕は円周にいる相手の位置から僕自身を観ていた。
相手に成り代わって僕自身を観ていたから、僕は如何様にも見える。
極端な話しをすれば、僕は360度どこからでもどんな風にでも見えるワケだ。
それがいつだったか、どんな機会だったかは思い出せないが、
中心に居る僕自身から見られるようになった。
僕を取り巻く相手は360度存在するのだが、僕は1方向だけで相対できるようになった。
つまり相手と向き合う時、
常に僕がクルっと向きを変えて、相手が正面に来るようにしたのだ。
これならば僕はいつも中心に居て、1方向で見ればいい。
その事に気付いた時、
遂に 『本当の自分(自分らしい自分)』 と出逢った!と、判った。
今、僕は正直、何の焦りもない。
相手からどう見えようとも、それが僕自身なのだ、と。
だから今の僕自身を全て肯定できる、と。
言い換えるなら、こう云う事にもなろうか。
平穏で動じない僕が居たとして、
一方で、人目をはばからずに残飯をガツガツ喰らう僕が居たとする。
又、アクセルを猛然と踏み込んで気ちがいみたいに暴走したい僕、
はたまた、いきなり素っ頓狂な奇声を発し、人込みを走り廻る僕が居たとして、
そのどれもが僕自身の感情に他ならない。
どれが良いとか悪いとか ではなく、
その全てを僕自身として肯定する(認める)事ができるようになった。
それに気付いた時、信じ難い話しだろうけれど、僕はストレスから解き放たれたのだ。
勿論、嫌だなと思うこと、辛いことは有る。
でもそう感じる自分を肯定できる自分が居るからこそ、
それが本当に嫌なことだ と、今は思えない。
じゃあ、昔のあなたはどうだったのよ?と、きっと思われることだろう。
今の自分に辿り着く前の自分は、どうだったのか?
一言で云えば、仮面を被っていた。
早い話が、エエ格好しぃだったのだ。
そんな時の自分は 「人はどう見ている?人から見える自分と どこが違う?」 と常に気にしてた。
つまり、他人の見え方とのギャップを埋める為に演じていた。
演じれば演じるほどストレスが溜まり、
知らず知らずのうちに、深く暗い出口の見えない長~いトンネルにハマって行った。
しかし 『本当の自分(自分らしい自分)』 に到った時、
深く暗い絶望の淵に立っているとばかり思っていたものが、
じつは、雲間からパッ~と陽光の射す、明るい山の頂きに立っていた。
今、ライフワークを探しているみなさん、
もしかすると一番辛く苦しい時かも知れません。
でもそれでいいんです。
いつ、どこに居ようと、みなさんはみなさんでしかないのです。
今居る自分を否定することなく、まずは自分を肯定してあげて下さい。
さすれば、内なる神のお導きによって、自ずとみなさんの前に現われます。
※本田健さんが主宰するアイウエオフィスのWebサイトは⇒ コチラ
(2008.9.17) (2008.9.20)
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