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~ 雑 想 ~



"優しさ"とは

 

  昨日、中2の息子が通う学習塾で催された「親子ガイダンス」に

  息子と共に参加させていただいた。

  そこで塾の主宰者(正確には塾運営会社の会長) S子先生から

  標記のお話しを伺う機会があり、"優しさ" とは "厳しさ" である との紹介を受けた。

  全くもってその通りだ、と思う。

 

  僕なりの考えを付け加えるならば、

   「人に優しくできるのは 『自立』した人間だ」が、敢えて "大人" と付けなかったのには

  理由がある。

  自立は、一般的には社会的に一人で稼いで生活できる人を指すが、

  "自律"の意味も多分に含むと思う。

  自律とは、読んで明らかなように "自らを律することが出来る" ことを指し、

  自らを律することができる人間は、既に "大人" なのだ。

  歳は関係ない、とも云える。

 

  やはり昨日の午前中のTV番組で、

  沖縄・那覇市の新成人たちの奇行奇態が紹介されていた。

  確かに20才に到れば、法律的には成人(大人)だが、

  その番組のゲストコメンテータだったワタミフーズの渡邉美樹社長の云われた通り、

  彼らは大人ではない。

 

  "自立" とは、「人様(他人)に迷惑をかけず、人様の役に立つこと」とも云えるから、

  奇声を上げ、横断幕を掲げて練り歩く、

  メリケン粉や酒を撒き散らす、などの奇行奇態は、

  自立した人間のすることではない。

 

  又、最高級ベンツに乗る60過ぎの男性が居た、としよう。

  そしてその彼が、最高級ベンツに乗っているから自分は偉い、と勘違いして、

  赤信号無視で交差点に入った、とする。

  彼は事故にも遭わず、交差点も何事も無かったかのように走り抜けた。

  だがしかし、そのせいで死者の出るほどの事故が起きてしまった、としたら、どうだろう?

  自立した人間に歳は関係ない所以である。

  一方20才に満たない少年少女であろうと、自らを律する行動を取れれば、

  たとえ年齢の関係で十分な収入が得られないが為に、親の保護を受けていたとしても、

  立派に自立した人間、と呼ぶことができよう。

 

  では自立するには、何が必要なのだろうか?

  それは、S子先生の言われた通り、"教養" に他ならない。

  "教養" とは「人が人らしく生きるための知識」だ。

  教養が無いから他人を慮れず、奇行奇態を繰り広げてしまうのだ。 

  かの福沢諭吉は、

  「世の中で一番惨めなことは、教養のないことである。」と、述べている。

 

  教養ある人間は、他人のことを慮って、自らを律することが出来る。

  自らを律することは、己れの行動をセーブすることであり、

  自分に厳しさを課すことでもある。

  逆説的に云えば、

  厳しくすることの必要性を知っているからこそ、他人には "優しく" なれるのだ。

  "優しさ" とは、甘やかしとか、放任とかではない。

  叱咤激励なのだ。

  自分で苦しい道を乗り越え、解決手段を会得しているからこそ、人にも厳しくなれる。

  頭ごなしに怒るのは、叱咤激励ではない。

  そこに人への "優しさ" は無い。

 

  いくら有っても困らないもの。

  それが教養だ。

  今回、S子先生の話しを伺い、

  まだまだ僕も無教養な人間で、修練が足らない、と気付かされた。

  貴重なひと時を得たことに、この場を借りて改めて感謝申し上げます。

 

                                     (2008.1.21)




雑 想


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