|
◆犬の時感覚
これから書くことは、もしかしたらわが家の愛犬ハリーだけに当てはまる事かも知れない。
以前、早起きは三文の徳の中で、ハリーとの早朝散歩について触れた。
実は冬至を目前にした今でも、早朝散歩は続いている。
とは云っても4時5時とは違い6時だから、かなり遅い時間なのだが、
今の夜明けが7時ちょっと前ということを考えると、6時はまだまだ薄暗く、
早朝であることには間違いない。
相変わらずハリーは夜が白むと共に、元気に目覚めるのだが、
人間である僕は正直、ヌクヌクとした蒲団からなかなか出られない。
ともすれば寝過ごしてしまうことさえある。
にもかかわらずハリーは、僕が起きてくるまでじっと待っている。
それだけでない。
スタート時間を問わず、家に戻ってくる時間はほぼ一緒だ。
スタートが6時であろうと6時半であろうと、それなりのコース(時間)を採る。
つまり僕が寝坊した分、自分の散歩コース(時間)を減らして調整するのだ。
今何時だヨなどと教えたり、仕込んだ覚えは全くない、にもかかわらずだ。
ハリーが時計を持つことなど、あろうハズもないが、
だからと言って、時間が判るハズもない、と結論づけるのは、いささか早急な気がする。
ハリーにしか判らない、何らかのトリガーがあって、
時計を持たずとも、時間は判っていると、僕は思う。
それは何なのか?
答えは、ハリーの体に刻み込まれた体内時計ではないか、と思う。
かつて本能の趣くまま動物的に生きていた時代、人間にもあったであろう物。
理性で生きるようになって、身体の奥底に仕舞われた物。
相変わらず夜明けと共にハリーに起される僕が、
ハリーとの日々の散歩で中で何となく感じることだ。
(2007.12.20)
|